1998年初期のアグリ甲賀が誕生
1998年、初期のアグリ甲賀が誕生しました。当時、湖南市の農業法人はティアイケイ農産1社のみ。営農組合もありません。圃場整備ができていない土地が耕作放棄地になっているため、なんとかして欲しいとの話を受け、隣の甲賀市の「るシオームファーム」「岡村農産」と共同で、担い手のいない耕作放棄地を管理する目的で立ち上げました。当時はJAこうかを含めた4社が出資しています。
10haの土地をお預かりするまでになりました
2010年ごろになると、耕作放棄地の面積も増え、それぞれの会社が管理する面積が増え、アグリ甲賀としては手が回らなくなりました。そのため、一旦解散しています。しかし、地主さんとの契約は残っていますから、草の管理だけは行うことに。資本金が0になる寸前まで行ったこともありますが、そこから持ち直し収益をあげる仕組みを確立。2014年には、代表を交代し、現在のアグリ甲賀の形ができました。
現在、アグリ甲賀では10haの土地をお預かりしています。これは、2016年の約2倍。圃場整備ができている田んぼもあれば、できていない田んぼもあります。しかし、心がけているのはつくることができなくなった方の最後の砦となること。基本的には、お断りしません。主に米、そして野菜を少し栽培しています。
大学生の時に覚悟を決めて、農業の道へ
1私が農業の世界に足を踏み入れたきっかけは、父親が立ち上げたティアイケイ農産です。大学生のときに「卒業後はティアイケイ農産に就農します」と捺印を押して資金を借りました。お金を借りて事を成すのは起業と同じです。サラリーマンをしながら農業をすることはできません。覚悟を決めて、農業を始めました。
実は、子どものころには農業はしたくないと思っていました。でも、覚悟を決めて取り組むことで感じたのは、たくさんの喜びです。つくって収穫する喜び。収穫したものを誰かに食べてもらう喜び。美味しいと評価をいただく幸せ。今は結婚して子どもがいます。親がつくっている米も野菜もなんでも食べる、好き嫌いがない子どもに育ったことも嬉しいですね。
ティアイケイ農産の事業で、農業体験もしています
最初は、必死に周りの人と同じレベルの米づくりを目指していました。そして省力化を進め、新しい技術を導入。そして、今は再度原点に戻り、食べた人の喜ぶ顔が想像できる米、美味しさを追求する米づくりをしています。
また、これはティアイケイ農産としての事業にはなりますが、湖南市の小学2年生、5年生の農業体験も行っています。鎌を使った昔ながらの作業を行い、最後はコンバインなどの大きな機械に乗せてあげる。特に男の子は喜びますね。田植えや稲刈りをしながら、お米のつくり方を教えます。昔は大変さ、今の便利さ、農業のかっこよさも伝えています。
農業者が少ない湖南市の問題を解決するために
湖南市には、若い農業者が少ないです。おそらく10人にも満たないと思います。それなら、私が道筋をつくろうと思いました。農業は稼ぐことができる。そして、子どもたちも喜んで田植え体験をしてくれる。まずは、そのことを伝えたい。その裏にあるのは、後継者問題です。今の農家さんが年をとったら、さらに土地が荒れていきます。それは誰が面倒を見るのでしょうか。これは私が農業を始めたころから問題になっており、湖南市・JAこうか含めて悩んでいる問題です。
流れをつくることで次の世代を育てていく。
それが、私が今農業に対して感じている思いです。